ジョゼフ・コーネル 箱の中のユートピア

アメリカの現代アートというかシュルレアリズムと言うかカテゴライズが難しい芸術家、ジョゼフ・コーネルはその生涯をニューヨーク郊外の小さな街で過ごした。

若くして未亡人となった口やかましい母親と生まれつき身体が不自由であった弟とずっと同じ屋根の下で暮らしたことが、彼の芸術家人生にくっきりと影を落としている。

家族の生活の面倒をみることからのプレッシャーから逃れるために、彼は幼少時代の夢の世界を生涯求め続けた。数々の「箱」が脆く儚くイノセントと永遠さを感じさせるのはそのせいではないか。隠遁した子供は、粗末な食事と甘ったるい駄菓子を主食にして、街に出ると古本屋で雑誌を漁り、地下室でコラージュを作り上げる。題材は幸福だった家族そろって出掛けたコニーアイランド遊園地の風景や映画、バレエの思い出からインスパイアされた小物たち。失われた時代を封じ込める妄執すら感じる。

それは映画そのものの定義に繋がるなと思って戦慄した。コーネルの作り出したコラージュは、絵画や彫刻と違い、現実にある素材を組み合わせて別の意味を見出す手法。過去をフィルムという永遠に閉じ込めて暗い部屋で光と影によって生き返かえっていく…。

当初から彼は映画のことを本物の芸術となる可能性をもった強力な視覚メディアであると考えていた。コーネルの心をとらえたのは、「銀色の光に閉じ込められた人物の表情、眼差しから、理想の美の姿を喚起し、思いもよらない音楽の氾濫を呼び起こすような、サイレント映画がもっている深遠で暗示的な力」であった。

彼の蒐集癖はものすごいものがあって、一時期ファッション雑誌のアートディレクターのようなことをしていて、注文があると彼のコレクションの中から使えそうなイメージを探しだして雑誌用カットやスチルを貸し出したという。また公共図書館に通って、古い絵画やカットを写真複写して作品の素材に使った。映画スターをモチーフに使うのはアンディ・ウォーホールより遙かに早い。

無題(ローレン・バコールのペニーアーケード・ポートレイト),1946年

何年ものち、バコールはこの箱を見て「これとってもいいわね、手に入れておけばよかった」と叫んだ

映画に対しても同じように蒐集をして、気が向くと訪問してきた客相手にサイレント映画のコメディを上映したという。

実際、コーネルの広範なコレクションは、映画の草創期とでもいうべき時代の作品何千本にも及び、彼自身が数えたところ、その九割が一九〇〇年から一九二三年までのものであった。その頃アメリカで映画を蒐集していた人々はごく限られていたが、みなジョゼフ・コーネルの名前を知っていた。しかし必ずしも、彼が芸術家だと知っていたわけではない。

彼の映画への情熱はやがて製作に向かう。実験映画の古典として有名となった『ローズ・ホーバート』は、誰も知らないような通俗冒険譚を好きなようにコラージュを行ない元の映画の文脈を破壊してコーネルの映画とした。よく見ると彼の作品のモチーフである鸚鵡が唐突に登場したりする。

やがてコラージュ映画から、自ら映画を撮ろうと決めた彼は、当時の若手実験映画監督に声を掛けて撮影を頼む。これがスタン・ブラケージだった。ブラケージはコーネルの1950年代の実験映画は彼のコラージュ作品と同様に重要なものだと語っている。

本書の中で彼の少女愛の世界も明らかにされるが、彼の恋愛歴の中にスーザン・ソンタグや草間弥生が出てきて驚いた。

 

『ニンフの光』

撮影はニューヨーク公立図書館の裏手に当たるブライアント・パーク。主演は十二歳のアメリカンバレエ学校の生徒、ルディ・バークハート。

 

『天使』

『Grir Rednow』

廃線になる高架鉄道の撮影をスタン・ブラケージに依頼したが、コーネルの意に沿わなかったために、十二年後、ほとんど編集せずにただフィルムを裏返しにした作品として公開。ブラケージ版のタイトル『ワンダー・リング』も引っくり返した。

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