映像から音を削る―武満徹映画エッセイ集


武満徹の映画についての文章を読むといつも背筋が伸びる思いがする。甘えや憧れあるいは慣れ合いではなく、映画との距離を取りながら真剣に向かい合っている様が読み取ることができるからだ。本書はこれまでの全集などには収録されていない文章も取り上げられている。
現在の日本映画界の状況からは理解出来ないだろう部分は、いくら斜陽産業と言われようと映画会社の力は絶大でそこから外れた独立プロの作品を製作・配給することがどれほど困難な状況であったか、それを想像することももはやできないのかもしれない。
「映画」という観念の具現化を推し進めると、どうしても最終的に残るのはドメスティックな部分になりがちだ。倒錯した考え方だが国際的な市場でウケる映画は大抵ドメスティックなものなのだ。フジヤマ、ゲイシャ、サムライといったオリエンタリズムのアイコンだ。
武満氏の思索を読んでいると、まず彼の映画音楽は劇伴ではない。映像と立ち向かい映像が語りかけてくる音を「音楽」へと昇華する。だから「音楽」という純粋なイメージを突き詰めるときに、物欲しげな映像は自然と淘汰されていくのではないだろうか。
これは「映画音楽」にある種の固定観念や期待を持った観客や製作者からは疎まれることになるだろう。だからといって彼の音楽自体が観念の世界から降りてこないことはない。映画におけるポピュラー音楽の使い方を見ると真摯な顔の向こうにやさしい表情がみえてくる。
武満氏は映画を愛する余りに映画に全世界性を求めすぎたところがあったのではと思う。その思考のスケール感はきらいではない。むしろこれから私たちが真摯に取り組む部分ではないだろうか。

この歌の由来はこの本を参照。

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