映像から音を削る―武満徹映画エッセイ集


武満徹の映画についての文章を読むといつも背筋が伸びる思いがする。甘えや憧れあるいは慣れ合いではなく、映画との距離を取りながら真剣に向かい合っている様が読み取ることができるからだ。本書はこれまでの全集などには収録されていない文章も取り上げられている。
現在の日本映画界の状況からは理解出来ないだろう部分は、いくら斜陽産業と言われようと映画会社の力は絶大でそこから外れた独立プロの作品を製作・配給することがどれほど困難な状況であったか、それを想像することももはやできないのかもしれない。
「映画」という観念の具現化を推し進めると、どうしても最終的に残るのはドメスティックな部分になりがちだ。倒錯した考え方だが国際的な市場でウケる映画は大抵ドメスティックなものなのだ。フジヤマ、ゲイシャ、サムライといったオリエンタリズムのアイコンだ。
武満氏の思索を読んでいると、まず彼の映画音楽は劇伴ではない。映像と立ち向かい映像が語りかけてくる音を「音楽」へと昇華する。だから「音楽」という純粋なイメージを突き詰めるときに、物欲しげな映像は自然と淘汰されていくのではないだろうか。
これは「映画音楽」にある種の固定観念や期待を持った観客や製作者からは疎まれることになるだろう。だからといって彼の音楽自体が観念の世界から降りてこないことはない。映画におけるポピュラー音楽の使い方を見ると真摯な顔の向こうにやさしい表情がみえてくる。
武満氏は映画を愛する余りに映画に全世界性を求めすぎたところがあったのではと思う。その思考のスケール感はきらいではない。むしろこれから私たちが真摯に取り組む部分ではないだろうか。

この歌の由来はこの本を参照。

マッケンドリックが教える 映画の本当の作り方

『マダムと泥棒』(56)、『成功の甘き香り』(57)を監督した、アレクサンダー・マッケンドリックは、1969年に映画界を引退後、カリフォルニア芸術大学(カルアーツ)で教鞭をとった。本書は、その授業で使われた資料を中心にして構成されている。

「映画監督になるためにはどうしたらよいか?」学校で学生が映画を学ぶとき、教える側には大体二つの態度がある。個性を尊重すると称して、ひとりよがりな作家みたいな出来損ないの作品を作らせて芸術と鼓舞するやりかた、反対に徹底的に、いまある業界で主流の技術のみを教えるやりかただ。どちらにしても卒業後、実際に現場に出たら役に立たず、また最初からやり直す羽目になることは間違いない。

著者のマッケンドリックが自らを仕事人を称することからもわかるように、ここではひとりの作家を生み出すことを目的にしていない。学生がすぐ口にする、もうそのやり方は古いなどという態度をたしなめる。映画は共同作業なのだ。ひとりでは作れない。逆に技術だけを教えることもない。技術は日々進歩するからいつまでも教わったひとつのやり方に拘泥していても仕方がない。身も蓋もないことを言えば、映像言語は教えられないのだ。あるいは教わっても意味がないのだ。

しかし、何とかして映像を観客に伝えようとした先人たちがいたし、その優れた作品がある。彼らが積み重ねてきたことを分析し、読み解くことで、映画を作ることが学べるのではないか、という試みが本書の内容だと言える。だから、既に映像や映画を作っている者から見たら、身についていてもはや常識なことばかりだけれど、助手として現場で走りまわって基礎を学んだ者が、一本立ちをするときに読み直せば、いままで言われたままにやってきたことにはこんな意味があったんだということに気づくはずで大変参考になるだろう。むしろ学生にとっては難しい内容だと思う。だけど、学生の時に読む価値のある本だ。授業を受けた映画製作者が語っているように、実際に現場に入ってはじめて学んできた授業の内容が理解できて、それがずっといまでも役に立っているという。そんな実践的な教科書だ。

実践的と云っても、技術書ではない。確かにシナリオの構成や、キャメラの置く場所、モンタージュの基本を教えるが、手っ取り早くマネをすれば“映画らしく見える”ノウハウではなく、なぜそうするのか、なぜそれが効果的なのかを理解させることが目的になっている。だからこれを学んでいくことで、監督、プロデューサー、撮影、シナリオライターと職種が違っても、同じ「映画」に対する共通の認識を作り出すことができるようになる。作り手として「映画が読めるようになる」のだ。それができれば、そこから先、個々人がどのような作家を目指そうと、技術が新しくなろうと何の問題もない。更なる高みに行くことができるのだ。マッケンドリックはそのことを「プロダクト(製作)ではなくプロセス(過程)」が大切だと繰り返して語ったという。芸術ってそういうものじゃないかな。教育ってそういうものじゃないかな。

個人的に、特に面白かったのが、「シーンの密度とサブプロットの役割」として、『成功の甘き香り』のシナリオを取り上げ、アーネスト・レーマン(『北北西に進路を取れ』)の書いた、第一稿を、クリフォード・オデッツがどのように書き直したかを、あるシーンを取り上げて解説する章だった。オデッツの才能の凄さを目の当たりにした気分です。さすが一流の戯曲家です。

最後にもう一度、本の序章に書かれた最初の言葉を引用します。

映画は媒体である。映画とは、作り手の想像力から、そのメッセージの発信先にいる人々の心の目と耳に、特定のコンセプトを伝達するコミュニケーション言語である。したがって、そこには絶対的なものは何一つ存在しない。受け手に解釈されて、その人の想像力に意味がもたらされないかぎり、そこにあるあらゆるものが無意味だ。この事実は、そんな言語や媒体にも当てはまるだろう。媒体とは、ある種の取決め、つまり、語り手と聞き手、絵を描く者とそれを見る者、演者と観客によって長年かけて培われてきた約束事によって成り立っている。長い年月を経て、意味づけのシステムが確立され、その言語における語彙や体系や文法が養われてきたのである。そんなわけで、こういったコミュニケーション言語は、観客と書き手が新しい表現方法を開発しようとしている限り、ゆっくりしながらも常に進化し続けている。

成功の甘き香り

映像+ 03 特集 特殊造型・メカニカルの現場

[PHOTO]映像+ 3 特殊造形・メカニカルの現場

グラフィック社

今回の目玉はVFX工房、K.N.B.EFX訪問。

ファン気質丸出しで、オオッあれは、あの映画のゾンビで、あれはあの役者の生首…。傷メイク講座も為になります。

特殊メイクアップの江川悦子に密着。『ゲゲゲの鬼太郎2(仮)』のメイクの現場が見られます。

操演(ピアノ線で吊るあれね)講座。

様々な日本の伝統的な技がすごい!デジタルでは決してできない、このノウハウの記録だけでも圧巻です。

また、実際に恐竜の赤ちゃんを作り、モーターを仕込み、ラジコンで操作するまでを、40ページにわたって、材料・工具から、仕組みまで写真と解説付きで紹介している。

角川映画の役割をきちんと書いた日本映画美術略史もいい記事です。

特殊メイク、造型の人たちの技術の公開する姿勢が、このような編集を可能にしているのだと思う。それは彼らの師匠である、ディック・スミスやリック・ベーカーの姿勢であることは、中子さんの「SFXの世界」などを読んでいて感じていたが、その考えがいまも続いていることに感激しました。 彼らの誇り、職人技はそのさらに先にあるということなのですね。

映画がなければ生きていけない

映画がなければ生きていけない 1999‐2002映画がなければ生きていけない 1999‐2002

映画がなければ生きていけない 2003‐2006映画がなければ生きていけない 2003‐2006

昔、と云っても1980年代の最初の頃、角川アイドル映画全盛の時代。「ぴあ」が月刊から隔週刊になった頃。暗く長い70年代が終り、なにかが始まろうとしていた頃、「小型映画」という雑誌があった。

その当時でもアナクロな雑誌のタイトル通り、新しいフジカシングル8キャメラの紹介やアマチュアの8mm愛好家が、地元の祭りや旅行記を撮ったり、集まって上映会を開いたりするのをサポートするような内容だった。たまに商業映画の記事が出ても訳のわからない実験映画の紹介。しかし8mm少年としては、他に8mm映画の作り方の技術情報を得ることができる媒体がどこにも無いので古くさい、つまらいないと云いながら読んでいた。

しかし、ある時を境に紙面ががらりと変わった。そう、深刻な顔を止めて軽くなったATGやテレビの刑事番組よりも過激なアクションを大スクリーンで展開する東映セントラル、にっかつや松竹の90分に満たないプログラムピクチャーが息を吹きかえす頃の、勢いが出てきた日本映画の監督のインタビューや現場の様子が大々的に取り上げられたのだ。同時に素晴らしいコンセプトを持った国産メーカーから8mm機材の新製品が次々と発売され、一方で8mmの自主映画が続々と誕生する。その様子がまさにリアルタイムで紹介された。

そんな時代の風を捉え、それまで繋がるはずの無いと思われていた、商業映画と自主映画を「映画」という眼で、プロに敬意を払いアマチュアを鼓舞する、両者を等分に取材していく姿勢に大いに共感を覚えた。

なぜなら、プロの現場はあまりにも遠く、自主映画の8mmは子どもの遊びにしか見られていない時代だったからだ。自主映画出身者ばかりのいまでは信じられないことだろう。

そう、確か、『シャイニング』を観て、すごい機材があることを知り、色々調べたけどよくわからなくて噂でしか聞いたことが無かった、スティディカムの写真をはじめて見たのもこの雑誌だった。一日の使用料金が200万円と云われていた頃だ。

8mm少年は毎月「小型映画」を読むのが楽しみになった。毎日のように隅から隅まで読み、アルバイトをして、機材も揃えた。

快進撃を続けていたと思われていた雑誌は、ついに「もうひとつの小型映画16mm映画」というアマチュア雑誌を逸脱するような特集を開始したところで、突然休刊となる。それくらいレベルが高いマニアックな雑誌だった。雑誌としては時代のずっと先を走ってしまったのだろう。

休刊の本当の意味を知らず、いつかまた再刊されてあたらしい記事が読める日が来るのではないかとずっと思っていた。

私は、「小型映画」がいまの日本映画に与えた影響の大きさが過小評価されていると、いまも思っている。

そして、10年後、あるメールマガジンが創刊された。デジタル業界の人たちが書く、コラムに混じって、アナログな映画と本の記事が掲載されていた。そこにはやや後ろ向きな、それでいて希望は捨てず、決してニヒリズムには陥らない、でもすごくセンチメンタルな映画と本の旅が綴られていた。わたしはそのコラムが届く日を毎週楽しみにしていた。筆者がカメラ雑誌の編集をしていたと聞いて、なんとはなく、そうであって欲しいと思っていたが、筆者の文章に「小型映画」の編集者という文字を見つけたときには小躍りしたい気分だった。なんてぜいたくな再会なのだろうかと。

あの時代の空気を知っている人には、最高の贈り物になるコラムです。決して裏切りません。寝る前の最高のナイトキャップになることでしょう。

現在もコラムは「映画と夜と音楽と…」として続いています。

映画監督 舛田利雄 

Hotwax責任編集 映画監督・舛田利雄~アクション映画の巨星 舛田利雄のすべて~Hotwax責任編集 映画監督・舛田利雄~アクション映画の巨星 舛田利雄のすべて~

私、舛田利雄のスカッとする、時には大雑把なアクション映画大好きです。なんといっても安心して楽しめる。

この本を読むと、監督の作品は、日活アクション以降の、アクション映画、男性映画、戦争映画、SFアニメ、アイドル、と娯楽大作映画の流れを作ったことがよくわかる。わかりやすく云うと、彼は70年代後半の“前売りチケット鑑賞券”システムを最大限生かすことができた監督として記憶されるのではないだろうか(全然わかりやすくないかな)。いま娯楽大作を作るとき、そのフォーマットから逃れることはできないだろう。

舛田利雄は、新東宝に入社したときに井上梅次について助監督時代を過ごした。そのあと同時期に日活に移ったという。一時期は井上邸に下宿していた。

なるほど二人の骨太の多作家はここで繋がるのか。この二人の特長には、シナリオが書けるという点がある。

舛田 それから井上さんのお宅に住みながら、何本かシナリオの下書きをしたんだけど。タイプが違うというか、合理主義の井上梅さんとは、根本的に違うんだなぁと思った。ホンの作り方がまるで違うんだよ。

そのときは、なんとなく面白くないな、と思いながら下書きをしていたんです。でもそのあとで、日活で娯楽映画ばかり撮らされるじゃない。その時に、梅さんの下書きをして身に付いたものが、すごく役に立つことになった。

―――井上梅次流の娯楽映画話法ですね。

舛田 そうなんだ。つまり、梅さんは物語を人間で追ったりなんかしないんだよ。物語の面白さを追求する。見せ場、見せ場を設定してね。それを繋いで行く。やはり娯楽映画というのは、そういう要素が絶対必要だね。ケレンの面白さというのかな。いかに観客を飽きさせないか。そういうテクニックを持っている人です。

なるほど、だからハリウッド映画だからと云っても臆することなく、『トラ・トラ・トラ』をいつもの通りに作り上げることができたのか。

日活のオールスターアクション『花と竜』(62年)が仁侠映画の元祖で、その翌年に東映で『人生劇場 飛車角』が作られ任侠ブームが到来した、というのを初めて知った。そーなんだ。日活の仁侠映画は亜流じゃなくて本家なんだ。渡哲也のアウトローなキャラを確立させたのもこの人。

またマンネリ化したヒーロー像に飽きていた裕次郎と示し合わせて、日活映画でタブーとされていた、主人公、裕次郎を殺したこともある。 その後、石原プロモーション製作の時代劇を何本か撮る。さいとうたかをの『影狩り』とか観たいね。

映画界に入る前に、シナリオを勉強していた頃の仲間だった脚本家、池上金男とのコンビの話も面白い。裕次郎の『赤い波止場』は脚本が池田一朗で『望郷』をベースにしたのに対し、リメイク版の『紅の波止場』は渡哲也で、池上金男、ベースは『勝手にしやがれ』だ。

井上梅次が撮った裕次郎の『嵐を呼ぶ男』を渡でリメイクしたときの挿話も楽しい。井上梅次の歌詞には必ず“借金取り”が入るというのには笑った。

節操なく撮っているようにみえるが、どれもこれも必ず印象に残る作品になっている。インタビューを読むと、好戦、反戦、宗教その他をも取り込んでしまう、娯楽映画というキャンバスの広さを自在に使いこなす、職人舛田利雄の世界が見えてきます。

小難しい映画批評的な細かい本ではなく、予算のある映画の王道と戦後の時代の生き証人として、映画監督の面白いインタビュー本 としてオススメします。