日本映画の国際ビジネス

現在、邦高洋低の興行状態の日本映画界だが、韓流ブームのあと『レッドクリフ』がなりふり構わず宣伝を打ちまくって資金回収に走ったりと、日常的に合作映画の話題が出てくる。いま一体映画界で何が起こっているのかを関係者へのインタビューで明らかにしていく。

映画製作で、重要なパートを占める資金作り。日本では製作委員会方式が通常だが、韓国ではファンド方式だという。またアート系の場合、資金の出資率により、映画の国籍が変わり、公開の市場が保障されるために助成金の確保が大切だという。『殯の森』の場合、フランスのセルロイド・ドリームスという会社が、1000から1500万程度、全体の10%ほどをフランスからの助成金を得たことで、フランス国籍が取れたという。そうなるとヨーロッパのテレビ局が映画に対して支払う放送権料がちがうという。共同製作による助成金の場合、スタッフ、キャストの参加によるポイントがヨーロッパ的であるかどうかで決定される。ヨーロッパはビデオ市場が小さいから、この助成金があるかないかで買値が一桁ちがう。フランスでは、CNC(フランス国立映画センター)やEurimages(ユーリマージュ、EU加盟国共通の助成システム)が有名。だから、欧米の評論家に「発見」してもらうことが重要だ…という態度は正直どうなのかと個人的には思うが。
韓国では、kofic(映画振興委員会)がEUと同じような助成を行っている。

日本では、助成金は30億円程度であり、そのうち製作への助成はトータルで17億円だという。

10年前に(1つの作品に)3000万円もらえていた助成金もいま2000万円になってしまい、1億円の製作費で5000万円もらえていたビデオ会社からの出資もいまはいいところ2000万円でしょう。(中略)現在の状況では、資金回収を興行だけに頼らざるを得ない。それで100館くらいの拡大公開にもってゆき、広告宣伝を大々的に打って一発勝負にかけるしかない。すると、1億円の予算に、宣伝費とプリント代で最低6000万円は使うことになり、(中略)これはシネマコンプレックスという背景があったからできたようなものですが、もうアテにはできなくなっている。興行成績の上位20本だけで、全興行の85%を占めているような状況が長続きするはずが無い。(後略)

堀越謙三(ユーロスペース)

またハリウッドメジャーの進出による戦略として、日本の観客のために日本語で作る日本市場をターゲットにした「ローカル・プロダクション」。そしてアジア全体を視野に入れてそれぞれの国と共同製作をする「コ・プロダクション」方式がフォックスやワーナーで進められていることがわかる。

他にも、香港、シンガポールの国際金融市場での資金調達法、日本のコンテンツの海外輸出について。撮影監督阪本善尚のスタッフの目線からの共同製作についての意見がおもしろい。

日本ヘラルドエースで多くの海外との合作の仕事をしてきた、タラ・コンテンツのプロデューサー、井関氏の言葉がいまと現状と、これから起こることについて的確に語っているのではないかと思われる。

--中国や韓国で、映画制作を志している人たちは熱いじゃないですか。日本の若い映画人もそうしたところに行った方が、国内にいるより楽しいんじゃないですか?

井関 刺激になるだろうね。韓国なんか若いし、みんなやる気はあるし。実際、骨太のいい映画を沢山作っている。「オアシス」とか「殺人の追憶」なんて、日本じゃ通らないような企画を立派な作品に仕上げている。韓国は今、ファンドが危機的状況だけど、あれだけの作品のクオリティを維持できれば、いつかはまた復活すると思う。でも中国映画は、ハリウッド的大作主義に走りすぎなのが非常に危険だよね。

僕は日本の映画界も変わると思うんだけど、テレビ局映画は間違いなくダメになる。なぜかというと、テレビ各局は今、CM以外の事業外収入に力を入れ始めた。当面で一番簡単なのが映画の収入なんだよ。これまで年間3本だったのに年間12本にして毎月公開していたら分散されて、これまでのような大量投下のプロモーションはできない。そうなれば外れる確率は高くなる。成功率が悪くなったら、映画会社もそう簡単にテレビ局と組まなくなるよ。だからテレビ局の映画は絶対にダメになる。そのことで映画界全体がダメになるということも考えられる。だから本当に今、危ないと思う。僕らにしてみればごく普通のものが、今の観客にとってはみんな難しく感じられるようだ。

それから、日本で一般的になっている「製作委員会システム」。集まって合意というスタイルがものすごく国際化を阻害している。映画を作っていると、その場で決断しなきゃならないことが毎日起こる。それを一週間も伸ばされてたら、映画は作れない。僕に任せてくれれば、いい映画を作るとは言わないけど、少なくともそこで、失敗してもやらせるという度量がないとダメ。だから無難な映画しかできないんだ。例えば、バジェットオーバーしたらどうするかって話になるとする。各国はみんなオーナーが来ているから即断できるけど、残念ながら日本は製作委員会を構成している会社の社員が出てくるから、「持ち帰って検討します」としか言えない。そう言った瞬間に、信用を失うことがわかってない。だから、サラリーマンであっても、これなら自分は会社を口説けるという判断で、その場で決断しない限り、相手の信用を得られないんだ。

外国でもLLPとか政府ファンドとかあるけど、それはビジネスとしてお金を出すだけ。しかし、日本の製作委員会は、お金を出すことによって自分たちが映画製作をしていると思っている。発想が全然違うんだ。全く国際ルールにならない。外国とやるときは、プロデューサーが最終決定権を持っていなかったら、誰にも信用されないよ。また日本の場合は、最終決定権を持っている人が話し合いの場所に行っても、後のことは部下たちに任せてしまうからほとんど話が先へ進まない。それが日本の一番ダメなところだね。中国も韓国もアメリカも、最終決定権を持っている人が、全部最後までやる。

これからの若い映画人は国内にいるよりも、中国や韓国の映画製作を志している連中と触れ合うことで、いい刺激になるだろうから、どんどん外に出た方がいいと思うよ。

井関惺

■世界中のロケーション情報を集めた雑誌「ロケーションガイド」

ところで、『寄生獣』の映画化って、まだ生きているの?

東アジア共同体をどうつくるか

EUについて調べていて、そういえば97年のアジア通貨危機の後に、日本主導の東アジア統一通貨構想っていうのがあって、アメリカと中国の反対によって潰されたんだよね、やはりアジアでは無謀な試みだったのかな、と思い出していた。

しかし、先日「東アジア地域協力の試金石 ~チェンマイ・イニシアティブ(CMI)マルチ化の意義と課題~」というブログ記事を読み、ひそかにこの構想はカタチを変えて進行していたことを知り驚く。そして、色々調べていくうちに、その辿り着く先は、「東アジア共同体」だというのがわかり、さらにびっくりする。

東京からバンコックまでの距離、4000キロは、ニューヨークからロサンゼルスまでと等しい。アセアン+3(日本、韓国、中国)の国々を併せて、東アジア共同体と仮称されている。(いまオーストラリアとニュージーランドがオブザーバーで参加している)

これらの国の間に2000年に取り交わされたチェンマイイニシアチブがある。外貨資金が一時的に足りなくなった国に参加国が支援するという内容だ。要するにアジア通貨危機のようなことがふたたび起きた場合、IMFの意向に影響されずに東アジア域内で独自の支援ができる仕組みだ。

この仕組みがそれほど脚光を浴びていないのは、大々的な全会一致の協約ではなく、できる国と国の間から進めるという方式のためだ。そのため複雑な二国間協定が各国間に取り決められている。これはEUが、現実的に進められる部分の協調から押し広げていったやり方と似ている。

かつて欧州地域統合は、欧州石炭鉄鋼共同体に始まる、一連の「制度設計」から進展した。それと対照的に、今日のアジア地域統合は、金融危機に対処するチェンマイ・イニシアティブに始まり、非伝統的安全保障問題から、環境、農業、エネルギーなどに至るまで、一連の「機能設計」から進展する機能主義の道である。制度構築から出発するか、機能構築から出発するかの違いだ。

(中略)それら一連の機能的協力が、周辺分野に波及しながら、同時に上位の政治、安全保障分野にも波及してその協力を促し、統合の制度化を進めていく。

非伝統的安全保障とは、戦争などのリスクとちがう、食糧危機、SARS、水不足に至る人間の暮らしや生活基盤を侵すリスクのことを指します。グローバル化によるリスクは益々国境を越えて連合していかないと解決しないことは誰の目にも明らかなことだろう。

この本では、情報化がもたらす貿易の可能性、それに伴う中間市民層の台頭、民主化の問題。軍事的、エネルギー問題など多くの事柄についても考察されている。そしていま現実的に「東アジア共同体」へ向かい、何がどこまで進んでいるかを解説している。政治レベル、実務者レベル、学者レベル、市民団体レベルの会合が開かれ、いくつもの合意形成がなされている。

EUがかつて、ヨーロッパ全土の人々に対して行ったリサーチ、「あなたはヨーロッパ人ですか?」それとも自国民かという帰属アイデンティティの確認の結果が、「ヨーロッパの家」という統合の合言葉を生み出したのと同様に、「東アジア共同体」にも文化的なアイデンティティが求められるだろう。それは、急激な都市化が進んだ日本、韓国、台湾の文化に魅せられる一方で、脈々と受け継がれてきている儒教的家族主義的な価値観でもある。それらが現世主義と同居している。

こうしたアジア的秩序観を、山室信一教授(京都大学)の示唆にしたがって、老子の「混成」と「両行」の概念でとらえることができる。「混成」とは、異質なものを異質なまま抱え込んで秩序をつくり上げる生き方を意味する。「両行」とは、本来対立し拒絶しあうものでも絶対的対立と見ずに、いずれも等しく取り入れて新しい境地を拓いていく生き方を意味する。

九七年香港が中国に返還された後も、香港の資本主義市場制度を残存したまま、主権下に包摂していく「一国両制」が、その老子流のアジア的秩序観を体現している。

「東アジア共同体をつくる究極の目的は、国家悪をなくすことにあるのですよ。国家を超えて共通通貨をつくり、共通の議会をつくって、政府をつくることですよ。戦争や危機はありえなくなる。EUだって半世紀かかっている。その時AU(アジア共同体)の首都を台北にもってきてはどうでしょう。国家を超える共同体の理念を象徴することになると思いますよ。」

(2001年の)沖縄会議「東アジア共同体の可能性」を仕掛けた、元台湾総統国策顧問、許介鱗教授(当時・国立台湾大学)は、そう笑いながらわたしにもらしたものだ。

いまの日本の閉塞状況から考えられないほど、著者の態度は希望と確信に満ち溢れている。それは次の文章にもよく現われている。

これまで私たちは権力を、希少価値の獲得過程か、現存価値の維持過程ととらえてきた。自民党総裁選をめぐる過程は前者で、行政省庁組織の管理運営をめぐる過程は後者である。

権力をめぐる2つの古典的な捉え方である。

しかしいま、地域統合にかかわる権力は、これまでの権力像とはちがう第三の権力像を求めて蠢動している。獲得の対象でも維持の対象でもない。既存の秩序の枠組みを超えて新たな秩序の仕組みを創り上げる過程、「創造の対象」としての第三の権力だ。

希少価値の配分にかかわる強制機能ではない。現存の価値の維持にかかわる管理機能でもない。眠った潜在価値を掘り起こし社会的再配分の仕組みを替えて、新たな秩序を創り上げる。潜在価値の創造機能を本質とする。